方広寺 - Wikipedia (京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2) 天正14年(1586年)、秀吉により奈良・東大寺に倣った大仏殿の造営が開始され、文禄4年(1595年)に完成した。東大寺の大仏より大きい18mの大きさであったという。豊臣氏当時ものとしては梵鐘が残っているが、この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒とくするものとみなされて、大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる。この鐘は重要文化財に指定されており東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘のひとつとされる。