偉大なアイデアは、気が付いてしまえば「ナーンダ」という類のものが多い。逆に「ナーンダ」発明は偉大であるともいえる。ところが、この「気が付く」までが、実は大変な道中である。では、原点に戻って、どうして発明はなされるのであろうか。
一般に発明は、4つの過程をたどるという(ムーア、藤岡訳「発明・発見・創造」河出書房)。
1つは、準備過程:
A)問題が感じられる
B)関与したデータが集められる。
C)問題を解く努力の中で出来る限り論理的思考がなされるが問題は解けずに次の段階に続く。
2つは、熟慮過程:挫折感の時期で、試行錯誤が繰り返される。
3つは、啓示過程:直感のひらめきが起こる。
4つは、証明過程:証明の過程。
とくに、この中で、3つ目の啓示の過程は興味がある。つまり、努力した後に啓示、天啓が起こるのである。発明の歴史を見ると常にこの天啓の時期がある。これは、まさに人間には図りえぬ時期である。従って、努力しないで「天啓だけ待っても」それは棚ぼた餅の論理であり、怠け者の論理となって「種ははえてこない」のである。
さあ「ナーンダ」発明に向かって、楽しく、努力をしてみよう。さすれば、君にも素晴しい「天啓」が得られるだろう!